oono yuukiのライブと『夜と火』
重たい腰を上げた。
そんな気分だった。先週の木曜日に、初めてoono yuukiのライブを観に行ってきた。
これまでもライブに誘われていたのに、なんとなく行っていなかったのは、スケジュールがあわなかったのが主な理由ではあるけれど、それと同時に、YouTubeで動画を観ても、いまいちピンとこなかったからというのもある。失礼な話。
ギターの弾き語りライブを聴くのは、正面から向かい合わなくてはいけないような気がしてしまって、ちょっとハードルが高い。全然行きたくないわけではないんだけど、少し心の準備がいるなあと思っていた。
HIRAKESAISAKI「motor park」oono yuuki
実際にライブを観たら、がらりと印象が変わった。
ステージに立ち、オレンジ色の照明に照らされて歌うoono yuukiは、深々とした雰囲気を湛えていた。緊張しているのか、それとも集中しているのか。ああ、この人は目の前に存在しているな、という感じで、「正面から向かい合わなくてはいけない」というよりも、もう向かい合わざるを得なかった。
夜中に人気のない道を散歩していたら、だんだんと空が白んできた。歌を聴きながらそんな情景が浮かんだ。とても良いライブだった。
ライブが終わった後、物販で本人からCDを買った。「すごく良かったです」と言ったら、うれしそうな顔をしてくれた。
家に帰って、アルバム『夜と火』を聴いた。次の日も、その次の日も聴いた。誰か大切な人を亡くして、悲しみ尽くしたあとみたいな歌だ。聴けば聴くほどそんな風に思うようになった。
アルバムのおまけで配っていた冊子に、2013年に病で倒れてバンドを辞め、旅をして、それからアルバムを作ったという漫画が描いてあった。2014年には麓健一さんと東北ツアーに行き、私の出身地でもライブをしたようだ(なぜあんな何もないところに行ったんだろう)。そのライブもアルバムを作る旅の途中だったとすれば、oono yuukiがこのアルバムのことを考えながら、私の知っている道を歩いたのかもしれない。
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余談ですが、ライブを観て家に帰った後で夫に真っ先に述べた感想は
「oono yuukiはギターを持っている位置が高い」
でした。夫は「ジョン・レノンポジションじゃん!牧野君(夫の友達)がそれやってたよ!」と言い、その後ふたりでジョン・レノンの画像検索などを愉しみました。
高円寺を歩いた
コジエさんが亡くなって、1年とちょっとが過ぎた。
コジエさんとは、高円寺にあったセピアという飲み屋で知り合い、一時は毎週飲んでいたし、一緒にガンプラを作ったり、数人のメンバーと共にミート部と称して頻繁に焼き肉を食べたりしていた。バリ島にも旅行した。ある時コジエさんは山梨に引越し、そのちょっと後でわたしはカナダに引越して、ここ4年くらいは直接会うことはなくSNSだけでやり取りをしていた。
亡くなる前の数年間は会っていないから、わたしの記憶の中のコジエさんは高円寺にいる。1回目の命日の直後の週末、わたしは高円寺でコジエさんと一緒に歩いた道を歩き、一緒に行った店に行ってみることにした。
とりあえず、どこを歩くか考えようと思ってBONYに行った。
BONYには一緒に行ったことがないけれども、この店の前を何千往復したかわからないくらい通った。
カプチーノを飲みながらiPhoneでミクシィのコジエさんの日記をこれでもかこれでもかと読んだ。
最初に行ったのはPal商店街、石狩亭の跡地。
この店は朝10時までやっていて、よく飲みに行ったけれども、火事でなくなってしまった。
石狩亭については、山下陽光くんが火事になった時のことをブログに書いている。この記事を読むと石狩亭がどんなお店だったのか少しわかると思う。
その記事の内容を踏まえたうえで、コジエさんが石狩亭の火災について「言葉が死んだ日」というブログ記事を書いている。
それから、下田ビルのあった辺りへ。正確な跡地がはっきりと思い出せなかったけどたぶんこのあたり。
昔、下田ビルの2階に凹凹というスペースがあり、そこのベランダから阿波踊りを見るというイベントに、コジエさんを含む5人くらいで一緒に参加した。
下田ビルは5-6年前に老朽化で建て替えられてしまった。
その後、おすぎと高円寺駅前のYonchome Cafeで合流した。
コジエさんの吸っていた煙草。
コーヒーを飲んだあとは庚申通りにある「安くて旨いから」という理由でよく行ったタイ料理の店へ。
コジエさんはパクチーが好きだった。タイ料理とか、エスニックフードと言われるような東南アジア諸国の料理が好きだった。
ビールを飲んで、タイ料理を食べながら、おすぎと2人でコジエさんの話をした。コジエさんの話と、コジエさんの訃報を聞いたときの話、それから、コジエさんと一緒に遊んでいた時の話。
おすぎは以前高円寺(厳密には中野区)に住んでいて、鍋をしたり、おすぎが自宅でカフェを開催するというイベントをやったりしていた。
ご飯を食べたあと、おすぎが前に住んでいた場所を見に行くことにした。
なくなってたらどうしよう?なんかドキドキするなー。と言いながらその場所に行ってみたら、やっぱりというべきなのか、おすぎが住んでいた建物は残っておらず、新しい家が建っていた。
切ないような、残念なような気持ちで、馬橋通りへ進んだ。
次に向かったのは、バルデラマという古着屋さん。
お店の中に入って、店主の本田さんにコジエさんとの思い出を聞いてみたら、一緒にageHaのイベントに連れてってもらったことが一番の思い出だと言っていた。
それからわたしたちは北仲通り商店街の方へ進んだ。
本田さんのお店のすぐ近くには、以前、セピアという飲み屋があった。おすぎも、わたしも、その店でコジエさんと知り合って仲良くなった。
セピアで飲んでいる最中にちょっと本田さんの店を訪れて立ち話をするということも結構あった。
セピアのあった場所には、もう別の建物が建っている。
おすぎやわたしだけでなく、高円寺のつながりでコジエさんと出会ったという人の多くが、セピアで一緒に飲んだという思い出を共有している。
セピアのドアを開けた時、客席にコジエさんがいると嬉しかった。セピアというお店が色んな人を結び付けてくれたし、英会話教室やガンプラ部や鍋会や、馬橋映画祭といったイベントが始まるきっかけの場所になっていたように思う。
わたしの中では、セピアという店が、コジエさんのことを思い出す時には切り離せない存在になっている。
素人の乱5号店。
やぶそば。
看板が光ってしまって読みにくいけど、食べ放題焼き肉のガッツ・ソウル。
商店街の入り口。
ケンタッキー前(場所っプ)。コジエさんはここで何人かと一緒に上半身裸になっていた。
同じところを何回かぐるぐると回ったりもしたけれど、これで高円寺散策を終了にした。
インターネットで探せば、コジエさんの残した文章や動画を見つけることができる。そうやって過去のコジエさんの情報には触れることができるけど、コジエさんはもうここにはいない。
コジエさんはいないけど、高円寺を歩いていると、突然「あ、ここでコジエさんとこんな話したなー」と思い出すことがある。そんな時はコジエさんと一緒にいるような気持ちになる。一緒にいるような気持ちになったすぐあとで、でもやっぱりもういないんだと気付いて悲しくなる。
今回歩きながら、コジエさんにはたくさんの友達がいて、その人1人1人に、違ったコジエさん像というのがあり、違ったコジエさんとの思い出があることを考えていた。わたしにとっては高円寺で過ごした時間が一番多かったけど、新宿だという人もいるだろうし、山梨だという人もいるだろうし、時間や土地では区切れないくらいずっと一緒だった人もいるだろう。もしも機会があったら、コジエさんとどんな時間を過ごしたのか、色んな人に聞いてみたい。
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このブログ記事を書くにあたって、山下陽光くんの次の記事を参考にしました。